東京銀器とは古く江戸の時代より伝わる伝統工芸で、鍛金師、彫金師、仕上師と呼ばれる職人によって現在もその技術技法が受け継がれています。
原材料としては主に銀が使われ、その工程のほとんどが、金槌、鉄のあて金、タガネといった道具を用いた職人の手作業によって行われています。
東京銀器の歴史をひも解くと、その始まりは江戸が世界最大の人口を有する都市となった江戸中期に見られ、元禄時代に活躍した彫刻師 横谷宗珉(1670-1733年)が、大名武家のための家彫から町人の持ち物を作る町彫へとその技術技法を変化させたことに始まるといわれています。
銀及び金は金銀箔で知られるようにその展延性(延び広がる性質)に優れるため、鍛造(金槌などで叩く)による変形加工を容易にしています。
また、金はその輝きをほぼ永遠に保ちつづけますが、銀は空気中の硫化水素などと化合する硫化という現象を起こす為、放置すると次第に光沢を失っていきます。
金銀器の製作では、金鎚とあて金と呼ばれる道具を用いて、元となる円形の板(板厚:0.3~1mm程度)を加工していきます。
品物の形状を作ることは、即ち元の板の外周を最終的な形状の口のサイズにまで縮める(絞る)ことであり、これを鎚絞りと呼びます。
絞り工程を経た品物は、次にその表面を鎚目・象嵌・彫金等で加飾していきます。
また、突起状の模様が整然と並ぶ玉霰(たまあられ)と呼ばれる加飾技法がありますが、これはその一粒一粒をタガネと呼ばれる道具と鎚で打ち出したものです。
加飾の済んだ品物は研磨作業を経て完成していきます。研ぎには名倉と呼ばれる砥石と桐や朴などの木炭を用います。
また、銀製品には、その硫化現象を利用した古美(ふるび)という仕上げ方法があり、品物に侘び枯れた趣を与えることができます。